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八木城 (安芸国)[やぎじょう]
八木城(やぎじょう)は、安芸国佐東郡(現在の広島県広島市安佐南区)八木にあった日本の城。 == 沿革 == 承久3年(1221年)の承久の乱で活躍した香川経景は褒賞として安芸国八木を与えられ、その子香川景光が安芸国に移住して八木城を築城したと言われる。景光が築城以来、安景、清景、行景、遠景、景春、景信、師景、方景、吉景、行景(行景妻子無く舎弟元景家督相続)元景、光景まで十三代子孫代々居城。香川氏は安芸守護であった武田氏の重鎮として活躍した。しかし永正14年(1517年)の有田中井手の戦いにおいて、安芸武田氏当主武田元繁やその傘下の熊谷氏当主熊谷元直が、毛利元就と宮庄経友率いる毛利吉川連合軍に敗北し討死。時の香川氏当主香川行景は主の仇を討てないのは無念とし、敗残の兵を纏め己斐師道とともに突撃し討死した。 元繁死後の安芸武田氏は内部の混乱が続き、重臣同士の争いが頻発するようになった。八木城もその混乱に巻き込まれ、同じく武田氏重臣であった品川左京亮の攻撃を受けている。香川光景らは毛利元就に従い、八木城はその居城として栄えたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの敗北の結果、毛利氏の防長移封に従って廃城となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八木城 (安芸国)」の詳細全文を読む
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